伝達方法はどんな手段でも

あの子が言うには、カミュがこんなことを言っていたらしい。

「とりたててこともない人生の来る日も来る日も、時間がぼくらをいつも同じようにささえている。だが、ぼくらのほうで時間をささえなければならぬときが、いつかかならずやってくる。ぼくらは未来を当てにして生きている、『明日』とか、『あとで』とか、『あんたに地位ができたら』とか、『歳をとればお前にも解るさ』とか言いながら。ともかくいつかは死ぬのに、こういう筋の通らぬ考え方をするとは、なんともご立派なものだ」

あの子の友達のかおりちゃんは、とりたてて話す必要のない毎日が特別じゃないことを分かっているらしい。だから偶然を運命にできる才能がある。

「帰り道に歩いていると、とても古くからある耳鼻科医院が家の近くにあるのですが、夜12時くらいにもかかわらず、通りに面した窓が開け放たれていて、オレンジ色の光が暗闇にもれていたのです。手前の部屋は暗く、奥の部屋に電気が付いています。暗い窓から、抑えきれずに中を覗いてみると、そこは天井まで棚いっぱいに本がびっしりとならんでいて、真っ赤や深い緑の、きっと私などが、読んだ事のないような本の背表紙が並んでいました。そこでああ、私は 本に囲まれて生活するのに強く憧れているんだ、と思いました。あそこの列には、サルトルだって、ヴィアンだって、サローヤンだって、メルヴィルだっている。そしてこっちには、外骨も、百輭も、漱石も、作之助も信夫もいるだろう。持っているカバンを投げちゃいそうになりました」

それでかおりちゃんが飲み屋で会った、カバノフおじさんがこんなことを教えてくれたらしい。

「言葉を知りたいなら、語源を調べなさい。すべてのことに不安になって、言葉を信じられなくなるのはもったいないことさ。原因や結果やプロセスよりも、ぼくらが大切にしなければならないことがあるだろう?日本語でも英語でもラテン語でも中国語でも、原典にあたることだよ、そして読み解くんだ。読み解いたら、言葉の意味を、全身全霊で受け入れることだ。それは祈りにも似ている、疑ってはいけない」

「未来を当てにして生きないからこそ、そのときの判断がすべてだと今まで思ってきたんだけどね…」と彼女は言う。あの人に10年後はどうするのと聞かれたとき、彼女は生きていたくないかもと、コンピューターの画面から目を離さず小さく言ったのを、私だけが知っている。