髪の毛が長かったから

僕はね、運命や偶然や時間の概念について考えれば考えるほど、物事はやっぱり二面性だけが取りざたされて、多くを見ようとしないと思うんです。
そこだけ失われ続けている。
現実とリアル、そのふたつの言葉に隔たる概念すら違う気がする。日本語なのか英語なのかカタカナなのか、どっちでどう理解したらいいのかわからなくなるよ。ただ解釈だけがたくさんある。それでいいのかな。

相手ありきではあるのだけど、見返りなんて求めずに自分がこんな行動をしたとか、あんなことができるようになった、こんなふうに考えられるようになった、昨日できなかったことが今日できるようになった、なんてこともあるけれど、そこを相手との関係とは別に、その事実のみでちゃんと自分を直視できないと、自分を支えるものがなくなって、思考のループから抜け出せないんだ。
僕にはそんな発想が今までなかったからかなり驚きだった。

そのときは正しかった。そのときは間違っていた。そのときは狂っていた、そのときは受け入れられなかった、そのときは理解できなかった、そのときは気づかなかった。そのときは分かった、そのときは知ってた、そのときは希望があった。生きているってそういう単なる偶然の無数の組み合わせの結果に過ぎないですよね。毎日が特別なんて思うことは、しあわせではない。でも「そのとき」がいつのときすら分からないけど、そのときはそこにある。ただどうなってるか知りたいだけなんだ、僕は。世界や時間が。ぶれないで、自分を生きられるか、成し遂げられるか。

大好きなあの子に「あなたが思うことを成し遂げて」っていうメールをもらってからもうすこしで一年で。僕には、成し遂げたいことなんて、本当にあるのかなと思う事ばかりなんだよ。でもたぶん、何が大切かってことを分かっていくための一年だった、だから、これからの何年か、生きられるんだな、って。