言う事が格言めいてた友達

かぬやんとはいつものファミレスで会った。茅ヶ崎の、国道一号線沿いの、24時間空いているファミレスだ。ドリンクバーと何か頼んでも500円くらいで済むし、駐車場があるから隣町に住んでる私は車ですぐ行く事が出来た。国道一号線は夜中は空いていて、よくわからないけど「道」って感じがした。こういうのが道というのだな、と。金がないからいつもそこに集まっては、何時間もずっと話した。
かぬやんとは大学に入学してから行われる、はじめてのオリエンテーションで会ったのだが、私たちは二人とも大遅刻で、厳密に言うと学校へ行くまでのバス停で会ったのだった。同じような人がいるもんだな、初日に大遅刻である。そして二人とも無言でバスを待ってたが、後にその話になったときに、二人して話しかけようか迷ってたことがわかった。だから仲良くなるのも早かった。同じ授業を取り、課題を一緒に寝ずに制作し、ドキュメンタリーを撮り、プログラミングをし、ワークショップをやって、イラストレーターの授業を取った。かぬやんはソフトを操るのがすごく上手で、飲み込みが早かったから、いつも頼もしかった。ああ、そんなことはどうでもよくて、かぬやんとファミレスに集まる時は、いつだって夜中だったんだな。
一週間にあったこと、今悩んでる事、恋愛の話、授業の話、友達の話、かぬやんと私はお互いにお互いのカウンセラーだった。学生だったから、なんて理由もあるかもしれないが、その当時はいろんな人と何時間も話した。自分のことや制作物のことを論理的に説明することが求められる学校だったからかどうかは知らないけど、だからとにかく話すことが必要だった。どうしたらいいか、どうしたら良くなるか、どうしたら実現可能か、どうしたら解決するか、どうしたら説得力があるか、どうしたら突っ込まれないか、そういうことを考えた。でもそれは課題があって、目的があって、着地点を設定していたから自ずと導かれるものだった。
だからか、結局かぬやんと話すのはいつも自分達のことだった。先が見えない、結論も出ない、自分達のことだった。話せば話すほどわからなくなったり、わかったりした。精神分析の本すら読んだ。無言になったり泣いたりした。かぬやんといる時は、私もタバコを吸った。かぬやんといるときだけタバコが吸いたくなったものだった。でも今考えてみると、かぬやんは私のことを置いてけぼりにして、早々に切り上げて行ってしまった。私は、そのことにようやく気づいた。かぬやんはやめたり決めたりすることも、うまかった。私はそんな風にかぬやんを思った。きっと着地点をちゃんとわかってたんだろうな。かぬやんはそれを言葉にしないで、行動した。かぬやんは私を置いて先に行ってしまってた。私は何かあるとかぬやんを思い出した。もう2年くらい会ってない。
かぬやんのあの、格言めいた言葉の使い方と間が、ある日から私にも出てくるようになった。あの頃のかぬやんの気持ちが分かった気がした。歩いていてふと、かぬやんが言ってたような台詞が口から出てきてしまったときはなぜだかうれしかった。やっとかぬやんに追いついた。何年かかったんだろう。私はびっくりした。あのとき、話していたことは無駄じゃなかったんだと思えた。何が自分を形作っているか分からないって言う意味もわかった。過ぎてった時間が、確実に自分を形づくっているんだと思えた。そして自分の中にある種の若さを発見してしまった。20代の生き方が人生の核を作るというあの建築家の言葉が重くのしかかる。そういうこともようやく意味が分かった気がする。ファミレスで何の話をするときも、そこにかぬやんがいて、私がいて、かぬやんの着ているセーターみたいなやつと、壁紙と、タバコの煙と、言葉の間だけ、鮮明に覚えているし、それはやっぱり特別な時間だった。

国道一号線を車で走る時、いつも真っ暗な夜か少し空が明るくなった朝だったのだが、私は雨の日の夜に走るのが好きだった。雨が降ると、アスファルトが水分を含んでまるでスクリーンみたいになる。そこに信号の青や赤や黄色が混ざって、光っている。車のライトでもっと光る。青色で、ゆらゆらしていて、細長い光の線が、フロントガラスを通り抜けると暗い室内の私の顔にも残像がゆらめく。外灯の白色が球状になって一瞬一瞬まぶしくなる。小さい雨粒すら反射して点滅しているようなんだ。タイヤと道がこすれる、あのブレーキをかける時にゆっくりと減速していくときの、湿った空気を一緒にからめて止まる時の音と、道の遠くの方まで、青や赤や黄色の弱々しい光の線が、ガラスに落ちる水滴越しにそこにあって見えるのが、なぜだかとても安心した。バックミラーにも、サイドミラーにも、光の線は絶える事なく続いているのが見えたから、いつもいつも綺麗だなと思って、国道一号線を雨の日に走ると、心が踊った。