あの日

春になる前に思い出すことがある。
外の均等な光とたくさんの層に分かれた空気が混ざり合ったり反射したりして、気持ち良さそうだから薄着で外に出てみる。息を吸い込むときにざざざと鳥肌が立つような昼間、体の芯は冷たくてまだまだ心から笑えない。そういう時はすぐに部屋に戻って、体温が移ってぬるい布団に潜り込んで窓からぽつりぽつりと入ってくる暖色と白い布が交互に戯れるのを、ぼんやり見つめるうちに日が暮れるから、やっと起きだして、鏡の前に行く。すると自分の顔がそこにあって、目の下のクマを手でなぞるのだ。頬の下のそばかすやほくろの数を数える。キリがないからやめる。夕方、温度が下がって、冷たい空気が足首のあたりで停滞すると、空は紫色とか水色とか、オレンジ色とかが混ざって、綿状の雲を誰かが糸にしようとして手でちぎって伸ばしたみたいに斑に広がる。たまに月が白くなって出てくるから、ああ、これから夜になるのだなあと分かる。空の向こうには限りなく色が広がっていると思うと、近くに行きたくなって、そういう空を見ると、私は歯ブラシを持って、家の玄関を出て、小道を挟んだすぐのとこにあるスーパーマーケットの屋上の階段をのぼる。歯磨きをするのである。
その大きな屋上は閉鎖されているのだが、非常階段の鍵は柵の隙間から手を簡単に入れられるからすぐに開く。サンダルを引っ掛けて、スウェットで、起き抜けのどうでもいい格好なのだが、歯磨き粉を付けた歯ブラシと、コップを持って、一段一段上っていく。屋上は駐車場にするために作られたもので、灰色のすべすべのコンクリートと、黄色い線で区画されている。とにかくだだっぴろいし、誰もいないし車もない。空間が空間として抜けている感じ。空の途中にいるのに、ずっと広い道が遠くまで繋がっているようにも見える。少しだけ緑があるからかもしれない。風も、そこに何もないのが当然のように隙間無く通り抜けるのが気持ちいい。私もまるで家のベランダのような顔をして座り込む。頭をからっぽにして歯磨きをするにはうってつけの場所だった。
コンクリートの上に腰をおろし、足を投げ出す。左手で上半身を固定して、歯磨きをする。左手はそのうちしびれてきてしまうのでたまに休憩する。口の中で歯磨き粉と唾液がぱんぱんにふくれあがるからコップに出す。奥歯を磨いて、手を止めることもあるし、前歯を磨いて疲れることもある。歯ブラシを口に突っ込んだまま、寝たらどうなるかと思って、寸前まで寝転がりそうになるのだが、そういえば外だったと思ってまた姿勢を戻しつつ、なんだか突然、途方もなくバカらしくなって、立ち上がると、口の中のもの全部飲みこんじゃいそうになる。スウェットについたホコリをぱんぱんと落としてから、屋上から見える、自分が住んでいる家を眺めた。かわいい色をしている。私は、何がしたいんだろうと思った。家とか買えるようになるんだろうか。今度はゴザを持って、月見でもすればいいやと、狭い非常階段を降りながら、私は歯磨きの続きをした。