彼女は魔法使い

もじがだいずきだ。文字がそこにあれば、目が勝手にそれを追っちゃうから。眺めてると、もじたちがこっちに向かって、語りかけてくる。うん、うん、とうなずいて、目が釘付け。何度も何度も読んでしまう。文字の形を目や指でなぞってあげるんだ。できるだけていねいに、そうっと。そうすると文字は生き生きと、脳裏に、映像を映してくれる。そこにはいろんな物語がある。そして感情がある。何百年も前のこと、一年くらいまえのこと、昨日のこと、さっきのこと、今の一瞬のこと、それと未来のこと。物理的なすべてのものを越えて、確かな感覚が、文字に乗せて、身体に伝わってくる。

何が大切って、愛。それだけよ。はっきり言う。ねえあなたは愛に包まれてることをぜんぜん信じてない。昔からそうでしょう。よくわからないって顔をすぐする。ほら、世界はいつでも微笑んでいて、あなたをいつも照らしてくれているのがわからない?不安を抱えているのと同じくらいあなたは幸せなのに、あなたはそれをちゃんと見ようとしない。かき消して、真っ暗にするの。そのくせ、世界のあらゆることは分かりたいなんて言うでしょ。おかしな話。幸せを見るのが怖いって?不安も幸せもあなたの糧になる。でも不安はあなたを疑い深くしてすぐ追い込もうとするよ。あなた自身の未来も疑いだす。あなたは感性のアンテナがちょっと効きすぎてるから、つぶされちゃうの。良くないわ。傷つきたくないなんて子供みたいなことは言わないだろうけど、結局はそう。そうやって守るほどの自分なんて実はないのよ。もっともっとあなたは開かれる、まだまだ閉じられてる。そりゃあ疑うこともきっと大切なときもあるわよね、でもあなたは、人を受け止められるだけの笑顔を持っているのだから、不安に打ち勝つだけの喜びを感受できるの。大丈夫、あなたは、人と感受性を共有できる。それって素晴らしいことなのよ。ほら。あなたの目は素直よ。だから大切なものを見失わないで。あなたも大丈夫。私が大丈夫なように。目をつむってみる、隣にあなたが安らかに愛する人がいる、それだけでもう答えはでているでしょう?

ディスプレイに映った文字のかたまりが、私にとってどんな物語よりも特別なものになるときがある。とても大きく、現実を俯瞰できると、自分の欲深さが恥ずかしくなる。私ははじめて情景に感謝した。すべてはやっぱり喜びの感覚だった。それでいいのだと思った。揺さぶられた。でも言葉はむずかしい。少しの隙間の中の、針くらいの、意味にすがりついてしまうときがある。でも、もっともっと言葉と一緒に大人になりたいと思った。だから私は、あの、一瞬の、現れては消えるような、光の束のような物語を、ゆるやかに生きていきたい。そういうことを17歳くらいのときに考えていたのに、私はいつの間にか、まるでなかったかのように、過去の自分を裏切り続けてきたのかもしれない。

高校生の冬、テスト勉強のさなか、真夜中に毛布をかぶって、外に出る。小さい石ころが足跡から、かちゃりかちゃりと響いて、鳴る。今日は曇りだからよく見えないかも知れない。ずっと見つめていると、丸くなってくる、真っ暗で静かな空に首を向けてると、前後左右の感覚がごちゃごちゃになって、何かに胸のあたりから引っ張られて立っているような不思議な重力を感じる。やがてぽつ、ぽつと暗闇からこぼれ落ちた2個の獅子座流星群を見終わった私は、 30年後にまたやってくる光の跡を、愛する人といっしょに、眺められればいいやって、なぜだか、ふと思ったんだから。

ブエノスアイレスをもう一度

二十歳前にブエノスアイレスを観たとき、私はどんなことを思ったんだろうか。思い出せない。映像とそこに映る行為の刺激が強過ぎて多分、放心状態だった。それでも一番覚えているのはトニー・レオンの白黒の顔で、その表情は「もう無理だ」っていう悲しい顔だった。愛情があったかいものだとしたらその表情には温度はない。急速に冷めていった温度は本能ですら止められない。そういうときの理性は強い。このままじゃダメだ。無性に不安になったが、何年も、ことあるごとにブエノスアイレスをもう一度…と思っては、機会を逃し続けた。
その数年の間、私に起こった変化は、ゆるやかではあったが、すこしはマシになった人格とまだまだ弱い身体と向き合うのも忘れて、気づいたらひどく疲れていた。そしてここ2年間の数々の沙汰ののち、もう一度ブエノスアイレスを観る時が来たのである。もしかしたら今この瞬間に観るのとはまったく意味合いが違うだろうという確信のもと、あの、レスリー・チャンの子犬のような甘えに満ちた目ん玉に映る、トニー・レオンの切なさにひどく同情してしまって、涙なしでは観られないかもしれない、もう本当に嫌になっちゃって、私だって泳ぎだなさくてはいけないと、ビデオ屋さんに探しにいったら、目の奥の鈍痛がひどくて全然見つけられなかった。両目が奥の方でつながってしまって、こんがらがっている。本当に疲れている。疲れているから、拒絶される。どんどん悲しくなる。

身体に得体の知れない毒素が広がっていく気がする。私どうにかなっちゃうのかな。疲れるとか疲れたとか疲れさせないでとか、東京に長く住んでる人はそうやって他人との距離を取るように、まあ、よく言うなあと軽蔑していたけど、皮肉にも自分がそんな風に言うようになってしまった。

心ない人たちの言葉によって、自分の気品がガラガラと音を立てて崩れてゆくのを尻目に、私自身がいつだって元気で、いつだって悲しまず、いつだって笑顔で、いつだって無理をしないと、何事もうまくいかなくなることに意識が荒んでくる。めんどくさいことはもうしたくない。どうしたら自分の意思を大切にして生きていけるんだろうねと雨の中話していたら、とりあえず、休んだら?と、あの子は言った。
「あなたのレベルを下げてまで人と一緒にいなくてもいいのよ。本質がネガティブな人は、ひどいことを言って、これが本当の自分だから受け入れてほしいって言うじゃない?そんなものにつき合って、あなた自身の徳を下げる必要はまったくない。はいはい、って流してればいいの。あなたはどうしたら自分が磨かれるのかということだけ考えていればいいの。心配で良かれと思って人を甘やかしていると、あなたにあとで甘やかした分だけ痛みが帰ってくるんだから。一人でゆっくり海を見て、一人でゆっくり歩いて、ひとりでゆっくりお茶をいれ、ひとりでゆっくりごはんを食べる。それでひとりでおしゃれして、ひとりで映画をみて、ひとりで雨の音に耳を傾けながら、体温がどんどん上がっていくのを感じて、ゆっくり、あったかくして寝る。
ひとりになってみればいいんじゃないかな。そうしたら、また人に会いたくなる。会いたくなったら会えばいい。無理することはない。ひとりになればいいの」

この子はいつからこんなことを言うようになったんだろう。私たちはちょっとずつ大人になろうとしていて、自分達に訪れている変化にびっくりした。そうやって私達は、世界に既にあるものたちと折り合いをつけて、それらを言語化し、自分を見失わないために、風をも真正面から受けて世界と対峙する。

それでも、そこからこぼれ落ちる、誰もが気づかないような感動にだって、敏感でいたいから、私たちは擦り切れるんだ。しょうがないね、ゆっくりいこう。

月曜日

くしゃくしゃに丸めた包装紙の裏側の方の触感がつるつるしていて、こっちがほんとうは模様になっているみたいだ。よく見ると、このようなものが書き連ねてあった。

「あなたがすき。あなたはすばらしい、あなたは輝いている、あなたは雨降る夜に、道路に映り込むネオンサインのようだ。あなたのしっとりとした前髪が好き、あなたのどこ見ているか分からない目が素敵、あなたは世界を照らしている、あなたは暗闇に収束する光だ、あなたはやさしい。あなたは賢い、あなたは誰もが心を開く魔法を持っている。あなたなら、その両手から新しいものを生み出せるんだ、あなたの笑った顔は人を癒し、あなたは人を勇気づけ、あなたは人に生きる喜びを与える。あなたはあなた自身の言葉を持っている、あなたは世界にこぼれ落ちた数々の色を集め、あなたのその声で、私は平安の中に漂って、あなたの未来を信じるのです。あなたの心が折れそうな時は、私はあなたの肩を包み込むでしょう。それでも雨の日は、私の中の素直さが音を立てて、すっかりと抜け落ちていき、大きな壁を作っては壊すことばかりに神経が過敏になって、全体を捉えられないのです。私をお許しください。そして私は、あなたの、体験の中の、一つの映像であり、それらにはまったく別の秩序が存在します。非現実的なものの秩序にこそ、あなたの発見すべき道はあり、私はあなたとともにそこにいるのですから。」

私は、生きている実感だけが、自分を突き動かす原動力となることに、疑問を抱いていた。生きている実感という名の疲弊は、ひとりよがりな世界へと、いとも簡単に私を引きずりおろす。どうしたらいいのだろう。分からないから先送りにしていたものが、物語の進行とは裏腹に、どんどん露呈されていくのが怖い。私にはあとどれくらいの時間が残されているのだろうか。包装紙のしわを伸ばしながら、網点の海に頭の中の全部を捨てて、埋没していこうとした。ある種の怒りにも似た身体のだるさはすーっと消えていったような気がしたが、ただそれは、脳みそが騙されただけに過ぎない。

つながって

つまらないって思ったらさっさとやめなよ。もしかしたらおもしろいことがあるかもしれないなんて思ってやるだけ無駄でしょう。自分がつまらないって思ってるなら自分自身がツマラナイ人間だってことだよ。
とさらさら書かれた23日前のメモ。彼女には辛過ぎるシンクロニシティであった。
畳み掛けるように、『毎日が楽しいハッピー時代は終わりを告げ、ツマラナイ・エラの到来!いち、抜けます!バイバ〜イ!』というメールを受信。だんだん手に力が入りすぎて、思わずケイタイデンワの主電源を切った。世界との絶交は簡単に成されたが実際にはつながっている精神世界。人生そんなもんだった。
所変わってその3時間前、フクシマのノンちゃんはふとんに顔をうずめて「つまらない、つまらない。ああああつまらない」と全身で空気を殴っていたのだが、自分の母親が「ノン、人間死のうと思えば、枕に顔を埋めるだけで死ねるのよ」と言っていたことを思い出す。一人暮らしを初めて一年半、部屋がめちゃくちゃ。洋服は脱ぎっぱなしで、食事を取るのもやめてしまった。ぐしゃぐしゃの髪の毛の中からうるうるの眼光の先には二年前の夏に大学最後の思い出作りに一緒にマウイ島に行った親友リン子との写真。ハイビスカスなどがあしらわれたおそろいのサマードレスに、大きなツバの帽子、どこまでも高い空と…カメラのレンズに反射した灼熱の太陽は申し分無くあの一瞬を切り取った。私たちキラキラしてた。そのあと声をかけられた現地のサーファー青年と青いカクテル越しの熱い夜というのは二人の嘘だったという話は置いておいたとしても、フツーに買い物三昧。これでもかと買い物。それも今となってはいらなくなってしまって、押し入れの中に45リットル袋に押し込めるだけ押し込んで奥の方へ。ふと思い立って、リン子ちゃんに電話、着信音だけでツマラナイがすでに30分前から連鎖するという魔法が起きていた。そのときリン子ちゃんは彼氏と大げんかしていた。喧嘩の内容は、愛犬チチの散歩中に近寄ってくる謎のおっさんの問題で、リン子ちゃんは「あの人は悪い人じゃない、さみしいだけよ、たまにスタバでお茶するだけ」と言っていたが実はおしりを触られているのであった。リン子ちゃんはそれを誰にも言えずに、我慢していたが、その唇を噛み切りそうになる我慢は、あの人はさみしい人だから私が救ってあげなくちゃいけないという絶対の義理に変貌をとげており、そのうちおしりの掴み方にも口出しするようになるほどで、おしりの形がキレイになるように体操を始めるにいたったリン子ちゃんを怪しく思った彼氏がある日チチとの散歩を尾行したところ、二人の濃密な3分間を目撃したという次第であった。おっさんはひとしきりおしりを掴むと、「じゃあ」と行って小路に入って行く。それを頬を赤らめた表情で見送りリン子とチチ。
言い合いは白熱して、彼氏はとうとうリン子ちゃんに手を挙げてしまい、右斜め60度あたりから水平に平手打ちを食らったリン子ちゃんの赤茶色の綺麗な長い髪は、ふーっと空間を切り裂いてそのままテレビの方へ。そこはたこ足配線で何やら数々の電源がごったがえしており、リン子ちゃんの衝撃でホコリが舞い散ったあと数々の線と髪の毛の一本一本が絡まって、鈍い「バチ」という音を出したところ部屋は、停電した。荒い息づかいだけが、暗がりの中で聞こえたが、部屋は二つの階層ではっきりと別れ、下の方は冷たく静かな空間がうごめいていた。
真っ暗な中、自分ひとりしかいない部屋の中でノンちゃんは、やっと見つけたガムテープを持つ手が震えていた。ガムテープで枕と自分をぐるぐる巻きにすれば、きっと、大丈夫だ。いける。
そして彼女はケイタイデンワと家の鍵を近くのコンビニのゴミ箱に捨てて、どっかあっちの方へ歩き出した。人生はそういうものらしい。頭のケーブルさえあれば、私たちはつながっていられるのに。どうしてこうなっちゃったんだろう。誰も教えてくれない。

笑えればね

「そうであることの必然性を主張する術など、私は持ち得ないが、君がつなぐ、触れる、手や指が、他ならぬ、私の手であるならば私は、それだけで、いいのです。」

忘れられない言葉だけが置き手紙になっていて、反芻され続け、収束し、ふと紙の束の中から思考へ向かって、残滓となった。脱皮みたいだ。手元にある、白い紙きれを見つめながら、彼女は、その、言葉には、目の前の光景が、ぶれてから止まるような、そんな感覚をかすめ、彼女自身の身体性を取り戻したかに思えた苦いような匂いを嗅ぎ、同じくらい果てしない疑いが染み出てきて慟哭をもたらした赤い野原で、彼女は、なげやりになってみた。切なさの中に熱狂はあったか?
その先を知りたいから、私が浮いていく。地上からどんどん浮いていったら身体が余るでしょう。初めて会う知らない誰かに身体を借して、容れ物の中を水でいっぱいにするみたいに泣いてもらったらいいんじゃないかしら。そうしたら、裏返しにしてみせて、乾くのを一緒に見ていたら、何か分かるかもしれないし楽しいでしょう?と彼女は、言う。

5年くらい経ってしまったかと悔やんでいたが、よく思い返してみると2年が過ぎ去っただけのようだった。脳が5年と判断したのだからそうなのかもしれない。2年なんていうのも、取るに足らない数字には違いないが、2年は確実に過ぎ去って、2年ののち、2年は、2年だったということしか、ない。

体温

握っている携帯電話の質感が、体の中で血管を傷つけながら通りすぎていく感じが、頭の中の二次元映像に、くるくると丸められて、あれ、ここはどこだろうと辺りを見回すと、半分眠っていた。夢の中で、普段使っていない、細い携帯電話の冷たくて大きいボタンを指で押すときに、そこだけ温度が変わっていったから、指をあわてて放した。冷たくなると、押されたときのまま皮膚がへこんで、模様が一瞬消されて、指は元に戻った。爪が伸びている。私は一生懸命ボタンを押す。半ば、狂乱することも諦めて、視界には、灰色の画面と、文字列があり、もうすぐ時間が経ってしまうから、焦って泣けてきた。文字で世界が壊れていけば、体の中も暖かくなるだろう。言語で手の指と頭がつながらなくなって体温だけ取り残される。何かが変わっていく時、たとえばそれを受け入れることを怖がっているとして、私はあなたに何ができるだろうか。でも、私は何もできない理由を探し続けることに、嫌気が差してきている。どんなものにでも感情が揺さぶられることがなくなってしまったら、私は私ではなくなる気がする、と思ってもなお、半分眠っている私の横で、どっちかにいる私は起き出して、「先に行くね」と言ったが、歩いていったその後ろ姿は、半分閉じた瞼の先には、白い煙のようなものとして写り、私は、こういうものが表現したいのだ、ああいうものを言葉で捉えたいのだと思った気がした。すると眠りの深い時間に体はゆっくりと落ちていき、携帯電話のボタンを押していると文章が見えてきた。
「カラスが鳴いているね。朝が来るよ。」